うそよ、うそ。信じない。
お母様が「しあわせの降る場所」にいて、あたしを見守っているだなんて、お父様の作り話。
それは都合のいい絵本の中のお話。
あたしはだまされない。
お母様は、あたしを捨てていったんだから・・・。
「アリシア、どこにいる?返事をしなさい!アリシア!」
お父様の太い声があたしを呼ぶ。
あたしは小さく小さく身を縮めて、台所の食器棚の影に隠れた。
いやよ、返事なんてしないんだから!
お父様があたしを呼ぶときはいつもこう・・・。
違うって、言ってるのにっ!
「旦那様〜。アリシア嬢様、ここにいますよ〜!」
大きな影が目の前に立ちふさがり、あたしの背中に腕が伸びる。
エルザだ、体がでかいだけのうちのメイド。
年は三十歳くらいかしら。浅黒い肌にかかる暗い茶色の髪を後ろでひっつめにしている。
かわいらしいレースのエプロンが、全然似合わないの。
エルザはあたしの首ねっこをつかむと、そのままぐぅーんと持ち上げた。
この大女、力しか脳が無くて、器量も性格も悪いんだから!
「離してよ!」あばれても、エルザはびくともしない。
どんどんと大きな靴音が響いて、とうとうお父様が台所にやってきてしまった。
「アリシア、探したんだぞ、返事ぐらいしなさい!」
ふいと首をそらす。それは、あたしの名前じゃないもん。
お父様は仕方ないなぁと、改めてあたしの名前を呼んだ。
「リズ・・・。女神様からいただいた名前なんだぞ、返事ぐらいしなさい」
「女神様なんて信じてないもん!」
お父様は大きくため息をつくと、背中を向けた。ふうとたばこの臭いがした。
「父様は、これから教会に出かける。お前は外で遊びなさい。いつも家の中ばかりにいては弱い子になってしまうからね」
外?!その言葉に、肩がぶるぶると震える。
「いやだ、絶対いやっ!」お父様わかって!首をぶんぶんと振る。
エルザの手から逃げようともがくけど、さらに高く持ち上げられてしまう。
「エルザ、そのまま庭に連れていってくれ、私も行こう」
玄関へ向かうお父様の後ろを、エルザがついていく。
ぐんぐん近づいてくる玄関の扉が、魔界への入り口のように見えた。
玄関に飾ってある、お母様の肖像画。
ぶら下げられたまま、キッとにらみつける。
白磁のような肌、綺麗な赤毛がゆったりと白いドレスを縫って、腰まで伸びてる。
バラ色の唇に微笑みを浮かべ、紫水晶のような瞳があたしを見てる。
あたしはそっくりだっていう、この人に。
綺麗だけど、優しそうに笑っているけど、ただそれだけの人。
あたしに何もしてはくれない。
今だって、あたしを助けてはくれない
とうとう外に連れ出されてしまった。
お父様は行ってくるよと言うと、あたしに振り向くこともなく、教会へ行ってしまった。
エルザはあたしを芝生に乱暴に下ろし、やれやれと肩をたたいた。
「まったく、困った嬢様だよ。ここで遊ぶぐらい何でもないことでしょう?おとなしく遊んで下さいよ」
ドアを閉めようとするエルザに駆け寄って、無理矢理ドアの隙間に手を入れる。
「いやよ。中に入れて!」
「それはいけません。旦那様のご命令です」
一生懸命にドアをこじ開けようとするけど、エルザの力には敵わない。
うぅ、動かない!なんて力なのよ、この大女!
「じゃあ、ばあやはどこ?」
ばあやがいれば、ここを開けてくれる。お願い、いてちょうだい!
「市場のほうにいますよ。帰りは遅いんじゃないかしら。さ、もういいでしょ。遊んでくださいよ!」
え、いないの?そんな・・・。
絶望で空を見上げた瞬間、エルザはどんとあたしの胸を強く押した。
「きゃあ」押されたショックで、ころころと芝生に転がる。
う、うぅ。息が止まりそう。
エルザはこっちも忙しいのにとぶつぶつ言いながら、ドアを閉めてしまった。
でも、ここで諦めるわけにはいかない。
「開けなさいよ!開けて!エルザ、お願い!」
ドアにすがって、叩いても叫んでも出て来る様子がない。
庭は人通りが多い大通りに面していて、人の行き来が激しい。
行き交う町の人々はあたしを嫌な物を見るかのような目でじろじろと眺めながら歩いていく。
・・・・・・。
砂だらけの足を引きずって、あたしは裏庭のほうへ走った。
裏庭は、大きな箱庭。
眩しい緑があたしを迎えてくれる。
よく手入れされている花壇は春の色が咲き乱れ、花樹ははらはらと花びらを散らしている。
昨日刈られたばかりの芝生が太陽に照らされてきらきらと光り、屋敷の影に入るとひんやりとした空気が足にからまってくる。
・・・静かだな・・・。
あたしは砂にまみれた靴を脱ぐと、芝生を踏みしめた。
冷たくて気持ちいい。
ここにいるのをエルザに知れたら、大変。
ここでは、日が当たらないからと言って、また表に放り出される。
・・・隠れなくっちゃ。
庭の真ん中にあるタムタムの木に向かった。とっても太い幹。
おじいちゃんのおじいちゃんが小さい頃から、ここで生きている。
耳を当てると、水を飲んでいるような音が聞こえてきそう。
幹には縄ばしごが張ってある。
靴を口にくわえて、一段ずつ登っていく。
頂上は町全体が見渡せる太い枝。
そこは、あたしのもう一つの部屋。
緑に囲まれた、見晴らしがいい空の部屋。
('03.10.18)
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