傷の手当をするために、村長さんの家へ。
あたしは吹っ飛ばされた時に出来た頬の傷に、癒しの魔法をかけてもらっていた。
ルーレンスがあたしの頬に手をかざして、魔法を詠唱している。
頬がほんわかと暖かい。
誰かに抱かれているみたいな安心感。
頬の傷は、思った以上に大きくて、血もかなり流れていた。
お父様が眉をしかめたのも解る。
それに、あちこちに小さな切り傷が出来ている。かなり強く叩きつけられてたみたい。
あの時は夢中で、ちっとも痛くなかったけど。
ワンピースも泥だらけで破けているところもある。
髪の毛だって、もうめちゃくちゃ・・・。
ちらっと鏡を見たら、土だけでなく、草や葉っぱまでついてた。
こんな姿見たら、ばあや卒倒するかもね・・・。
女の子なのにって。
髪の毛だけでも直したいなぁ。
だって・・・。
こんな間近にルーレンスの顔。
長いまつげが瞳にかかり、頬に影を落としている。
額にかかる髪から、すーっと香草の香りがした。
見とれていると、 「終わったよ」とルーレンスが微笑んだ。
「うん、大丈夫だ。傷も残ってないよ」
頬に触れる指先。
「ありがとうございます」の返事もそこそこに、思わずうつむいてしまった。
指が触れたところから、赤くなっていきそう。
顔を隠すために、前髪を直すふりをした。
あぁ、こんな泥だらけのカッコじゃなくて、もっときちんとしていたかった・・・。
去っていくルーレンスの背中に、ちょっとため息をついた。
そうそう、ルーレンスは、魔法使いでこの村の「守り人」なんですって。
道理ですごいはずだよ、珠還りの魔法って、上級の魔法のはずだもん。
魔法でお父様にかなう人はいないと思っていたんだけど・・・。
まだ、目の奥にあの光が妬きついている。
マギーもかっこよかった。ほんとに名手なのね。
やっぱり、あたしもやってみようかな、弓。
マギーみたいに上手になりたい!
それに二人の息の合っていること。お互いに信頼しあっているんだろうな。
あたしは、二人がとても羨ましかった。
ルチアナは、となりの部屋でまだ眠っている。
聖法を長く使っていると、精神を消耗するからね。
だって、がんばっていたもん、ルチアナ。
水聖たちを従えた姿は、とても綺麗だった。
でも、いいなぁ。
あんな綺麗なお兄さんにだっこされて。
ルチアナは眠ったままだったから、ルーレンスにベッドまで運んでもらったの。
あんな細腕のどこに力があるんだろう。
軽々とルチアナを抱き上げて、愛しそうに濡れた髪に頬寄せていた。
あたしは、強制的にお父様にだっこされてたわよ。
・・・嬉しかったけど。
手当てのあと、マギーに身支度をちゃんと整えてもらった。
(ほんとはその前が良かったんだけどね・・・、手当てがやっぱり一番だよね・・・)
泥だらけの髪は下ろして、綺麗にすいて、マギーとおそろいのハンカチで結んでもらった。
服もマギーの小さい頃のものを貸してもらった。
マギーが選んでくれた白のブラウスとオレンジのスカート。
嬉しいな、ちょっとだけマギーになったみたい。
整えてもらっている間、ずーっとにこにこしていたら、訝しそうな顔のマギーが櫛をふりふり、鏡の中のあたしを覗き込んだ。
「なぁに?幸せそうな顔しちゃって〜。は、はぁ〜ん、あれね」
にたりと口元を緩めて、あごに手をやるマギー。
あ、ばれちゃったかな?
「ルーレンスね!」
どきっ!飛び上がる心臓。でも、違うよ、マギー。
「あやつは綺麗だからなぁ〜。女でなくても惚れるね!しかも、あ〜んなに近くにいたんじゃ、そりゃ笑顔にもなるわな、この幸せ者め!」
後ろから、あたしの頬を平手でこねまわす。
「マ、マギー、ちがうよ、そうじゃなくて・・・」
ほ、惚れるって、な、何?違うってばぁ・・・。
でも、本人を目の前に素直には言えなくって、頬は真っ赤。
ひゃあ〜、傷が復活しちゃったら、どうするのよぅ〜。
「はい、これ飲んで。落ち着くわよ」
テーブルに着くとマギーがココアを出してくれた。甘い香りが辺りを包む。
「それと、これ。ちゃんと持っていなさい」
あたしの手には、弓が乗っていた。
柄には小さい傷がいっぱい出来てる。あたしと同じ・・・。
後でバンおじさんが直してくれると言ってたっけ。
マギーはテーブルに寄りかかると、ココアを口にした。
「ほんと、お守りの効き目はすごいわ!これがあったから、ルーレンス、気がついたのよ。あなたたちが危ないって。間に合ってよかったよ」
マギーのほっとしたため息、甘い香り。でも、すぐに寂しそうな目をした。
視線の先には、廊下の奥の部屋。今、ルチアナが休んでいるところ。
「それとあの子の力かな?ルーレンスが呼ばれたって言ってたわ。・・・あんなに離れていたのにね。ほんとに仲がいいよね、あの二人」
妬いちゃうなぁとためいきをつくと、柔らかな湯気とともにマギーは台所へ消えていった。
あれ?マギー?
ちょっと首を傾げた。でも、胸をよぎったものが何なのかは解らなかった。
首を傾げたら、目の端に弓が入った。
膝に乗せた弓から伸びるお守り。窓から射す光で、さらに紅さを増している。
「ありがとう」
あたしは小さくつぶやいた。
これに念を入れてくれた人を胸に描きながら。
温かいカップを手で包むと、息を吹きかけながら少しずつ飲む。
甘〜い、すっごくおいしい!
自然に笑顔になる。
村長さんとお父様、ルーレンスがあたしと同じテーブルを囲んで、何かお話をしている。
台所ではマギーとバンおじさんが冗談を言い合ってるのか、笑い声が絶えない。
にぎやかな食堂であたしは一人を感じながら、思い出していた。
マギーが話してくれたルチアナのお話。
あたしは、悲しくて最後まで聞けなかった。
ルチアナは一年前の水害の時に、目の前で両親を亡くしたんだって。
それが原因で言葉を失ってしまったって・・・。
自分を責めて、人と付き合うことが出来なくなっていたんだって。
・・・辛かっただろうに、ルチアナ・・・。
「ルチアナのかわりにお礼を言うね。ありがとう。これからもずーっと、そばにいてあげてね」
マギーの言葉に、思いっきりうなづいた。
あたしの手を取るマギーの手にぽつんと雫が落ちた。
それは、あたしの頬にも伝っていた。
「落ち着いたかな、リズ。お話があるんだよ」
お父様の優しい声に、カップから目を上げる。
「お話?なあに?」
にこにこ顔のお父様。おひげが笑ってる。
村長さんもルーレンスも、あたしを見て、口元がほころんでる。
何だろう・・・?
怪訝そうに眉をしかめるあたしに、お父様はこう言った。
「お前に兄妹が出来るんだよ」
カップをどんと置いてしまった。
えぇっ、兄妹?
「ルーレンスとルチアナが、うちの養子になってくれるんだ。どうだ、びっくりしただろ。嬉しいか?」
ええっ?な、何で?
そ、そんな急に言われても、こ、困るよ!
でも、頬はだんだん緩くなっているみたい、思わず両手で押さえてしまった。
お父様のお話って、これのことだったんだ。
嬉しいを通り越して、びっくりっ!
目をぱちくりしているあたしの隣に、ルーレンスが腰を下ろす。
近づく端整な顔。
さ、さっきと同じ。顔が・・・。あ、も、もうだめ、赤くなってる・・・。
「今日は申し訳ないことをしたね。雑念が入って、結界を張ることがおろそかになってしまった・・・。ごめんよ」
目を伏せたルーレンス。
銀髪が頬を薄く撫でてゆく。動きに合わせて、白いローブが揺れる。
あたしはその裾を目で追っていた。
恥ずかしくて、真っ赤な顔を上げることが出来なかったから。
「ありがとう。ルチアナを守ってくれて・・・。感謝してもしきれないよ」
今まで以上にやさしい声にはっとして、顔をあげた。
その顔には、悲しい影は微塵も無かった。
良かった・・・。
この人にあんな顔は似合わないもの。
ルーレンスは、あたしに「これからよろしく、妹殿」と手を伸ばした。
あたしの手は、その手にそのまま吸い込まれていった。
深い緑の瞳が、やさしく微笑んだ。
あたしはその時から、兄さんの背をいつも追うことになった。
後で知ったことだけど、二人がうちの養子になったのは、お父様の跡を継ぐためだったの。
ルーレンスをブラングランジ町の「守り人」として、迎えるために・・・。
あたしはそんなことちっとも知らなかったから、嬉しくて、嬉しくて仕方なかったけれど・・・。
「ルチアナ・・・」
ルチアナが眠っている部屋。
寝息だけが聞こえてくる。静かに規則的に。
あたしは足を忍ばせてベッドに近づいた。
レースのカーテンからこぼれる光が眩しい。
その影はルチアナの頬に落ち、美しい綾を織っていた。
カーテンを少し引いて、陽射しを遮った。
あんなに高かった陽は、傾きかけていた。
部屋の中はゆっくりと黄金色に染まっていく。
「今日はもう帰るね。暗くなる前に帰らなくちゃいけないから・・・」
ベッド脇の椅子に座り、ケットから出ている白い手に自分の手を重ねた。
暖かい・・・。
ルチアナの寝顔を見ながら、思い出していた。
初めて見せてくれた微笑。
初めて聞くやさしい声。
初めてつないだ手。
それらは、あたしをやさしく包み込んでくれた。
そして、声を取り戻したルチアナに、もう怯えた光は見えなかった。
「ありがとう、守ってくれて。今度からは、あたしが守ってあげる」
聞こえてなくても、何度も声に出して言った。
大切なお姉さん。
あたしの大事な友達。
「また来るね・・・、ルチアナ」
ルチアナのぬくもりを手に残しながら席を立つと、静かにドアを閉めた。
村へと続く一本道。
あれから私は、この道を何度も通った。
皆に会いに、弓を習いに・・・。
一人でも通えるようにと、馬に乗れるようになった。
毎日通うのは面倒と、村に泊まり込むようにもなった。
そして、今までばあやに頼り切りだった身の回りのことも自分で出来るようになった。
楽しかった、村で過ごす毎日。
森の蒼さに染まっていく日々。
村の人たちと交わす挨拶。
マギーの弓の訓練やバンおじさんの工房で過ごす時間。
ルチアナの笑い声。
ルーレンスとのおしゃべり。
みんなみんな木漏れ日のように、きらきらと輝いていた。
思いっきり笑って、泣いて、怒って。
私の声が空へと高く登っていく。
ここでは自由になれた。翼有りし鳥のように・・・。
救われたの、この蒼い森で。
でも結局、私は全てのものから逃げていた・・・。
かの地に行く誓いは果たされること無く、この村で色褪せようとしていた・・・。
自分が「見放された子」であることを、村の誰にも打ち明けられずにいた・・・。
失うことが怖かった・・・、この幸せの場所を。
勇気が出なかった・・・、押し寄せる不安に、大丈夫だと何度も自分に言い聞かせても。
精一杯だった・・・、闇に消え入りそうな僅かな光を追うことだけで。
いつか、いつか向き合わなければいけないと解っていたのに・・・。
八年後のあの日。
私の定めが動き出した。
やってくる・・・。
忘却の蒼い瞳に出会う日。
私の運命に向き合う日・・・。
<蒼い森の少女>終わり
('04.03.05)
|