・・・・・・・。
・・か・い。
・・赤い。
赤い。
目の前は一面の赤だ。
それ以外は何も見えない。
その赤はうねりだし、やがて焔と化した。
体が溶け出しそうな熱さ。
視界がぐるりと回り、立っているのが精一杯の体に火は纏わりついてくる。
手のひらに火の竜がのた打ち回ったかと思うと、次の瞬間にそれは液体に変わった。
赤い液体。
どろりと粘りのあるそれが、指の隙間から伝い落ちる。
腐食した鉄の匂いが、体を包む。
・・・助けて・・・
突如、熱に犯された頭に女性の声が響いた。
焔の中に女性の姿が浮かんだ。
長い髪、白い体が赤に蝕まれてゆく。
助けて・・・!
自分の名を呼ぶ声。
聞き覚えのある、暖かな気持ちになれる声。
でも、今は涙でかすれている。
胸にかき抱くは、愛する人。
彼女は、何度も淵に沈んだその人の名を呼ぶ。
ここへ還ってきてと。
その人は誰で、何故こんなことになったのか、・・・自分は知っている。
しかし、それを彼女にいうことは出来ない。
なぜなら・・・。
焔はさらに勢いを増し、女性は瞬く間に火に飲み込まれていく。
助けを求める手がこちらに差し出される。
なぜ、その手を掴むことが出来ないのだろう。
こんなに君を欲しているのに。
体が闇に引きずり込まれる。
君が焔に飲み込まれる。
差し出された手は赤く溶けて、消えた・・・。
「もしもーし、起きてる?おーい、生きてるよね!」
・・・生きてる?
・・・。
!!
目を開けるといきなり光が飛び込んできて、眩しさに目を閉じた。
「あ、生きてた!」
再び目を開けると、そこには地面が広がっている。
何故、こんなに近いのだろう。
顔を上げると、頬から土がぱらぱらと落ちてゆく。
倒れているのか・・・。
軋む腕に力を入れ、声がする方へ体を起こすと、陽の光を纏った少女がこちらを覗きこんでいた。
二つに結んだ赤く長い髪を、揺らしながら笑う少女。
その赤はさっきまで見ていた赤を思い出して、嫌な気分にさせる。
「ずいぶんとこの道を通ったけれど、倒れている人に遭遇したのは始めて。どうしたの?もしかして、行き倒れ?顔も服も泥だらけじゃない。だいぶ大変な思いしてきたのね。痛いところない?おなかすいている?もう少し行ったら、村があるから、そこで食べるといいわ。あ、もしかして文無し?あたし、おごってあげようか。村にも小さいけど、食堂あるのよ。う〜、でも宿はないからなぁ。あ、そだそだ・・・」
よくしゃべる奴だなぁ・・・。
こちらが返事をする隙もない。
紫とも藍とも言えない不思議な色をした瞳が、くるくると表情を変える。
呆れながらもしばらく辛抱強く聞いていたが、耳までも役目を拒否しだした。
少女はまだ、何かしゃべっている。
聞いているふりをして、体を触ってみた。
あちこち、怪我をしているようだ。
布にあたる皮膚が悲鳴を上げ、ミシミシと骨がなる。
ここはどこだろう・・・?
あたりを見渡した。
見覚えが無い。
自分の前にも後ろにも道が伸びている。
街道だろうか?
ほかに通行人も見当たらない、寂しい場所だ。
両脇には高木が連なる森。
高いところから、鳥の鳴く声、遠くから、せせらぎが聞こえてくる。
木々の隙間から挿す木漏れ日がまぶしいのは、それほどにこの森が深いのかを物語っている。
ここへどうやって来たのだろう?
手荷物すら、見当たらない。
改めて、自分の手を見た。
たしかに泥だらけだ。
髪も服もほこりや煤が、こびりついている。
被っているマントは、あちこち黒く焼け焦げていた。
何故、こんな姿になっているのだろう・・・?
「ね、何でこんなところで寝てるの?どこから来たの?名前は?・・・あ、名前を聞くなら、自分から名乗るのが先ね。あたしはリズ。リズ・ウェルハントよ。あんたは?」
リズの尋ねる声に、しばらく休止していた耳が反応する。
・・・自分の名前。
自分の名前・・・?
そうだ、名前。
何て名前だったろう。
思いだそうとすればするほど、冷や汗が背中を走る。
・・・そんなはずは・・・。
「どうしたの?」
怪訝そうに首をかしげるリズ。
声が出なかった。
やっと、口にしたのがこれだ。
「わからない」
リズは、きょとんとした顔でこちらを見ている。
その視線が痛くて、うつむいてしまう。
「ほんとにわからないんだ・・・」
「・・・まさか、私は誰っていうやつなの?」
信じられないといった表情が、こちらに向けられているようだ。
「ほんとに?ゆっくりでいいのよ。思い出さない?自分のこと」
わからない・・・、首を振る。
頭はその役目を放棄してしまった。
リズは大きくため息をついた。
「記憶喪失か・・・」
それが、この虚無感の名なのか。
何度記憶を手繰っても、欠片すら見つけられない。
記憶・・・。
思い出そうとすれば、自分の姿すらも飲み込む暗い闇が広がる。
闇の果てには幕があるとわかっているのに、どんなに走っても、手を伸ばしてもその幕に触ることすら出来ないのだ。
それを払うことが出来たら、全てわかるのだろうに。
自分が誰なのか、わからない・・・。
なんて、恐ろしいことだろう。
その考えにぞっとして、自分自身を抱いた。
しばらく、心配そうに眉を顰めていたリズが、「あ、そうだ!!」と突然嬉々とした声を上げる。
「頭に衝撃があって、記憶が無くなった時、それをもう一度やると思い出すって、聞いたことあるわ。痛そうだけど・・・。どこかに覚えのないこぶ無い?ころんだの、それともぶつけたの?ねぇねぇ・・・。あれ、心配してる〜?大丈夫よ、そんなことしないから、安心して」
思わずあとずさる俺に、くすくすと悪戯っ子のように笑うリズ。
こいつ、心配しているのか、からかっているのか、わからない。
しかもやりかねない、今の話。
で、記憶が戻ったら、ほらねっ!って今みたいに笑うんだろう。
「と・に・か・く!あんたが記憶喪失だろうが、何だろうが、ここでこうしていても、しょうがないわ」
リズが立ち上がったので、俺もそれに習った。
情けないことにリズに手を貸してもらってだ。
森に零れるかすかな光にさえ、めまいを覚える。
自分は一体何者なのか・・・。
これは夢かもしれない。
そう思いたかった。
('05.03.27)
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