並んで立ってみると、リズは意外に小さかった。
仕立てのよさそうなマントで身を包んでいるせいか、さらに小さく見えた。
「とりあえず、顔だけでも洗おう。そんな泥だらけじゃ、頭だって働きっこないよ。ほら、さっぱりしてこよう。こっち!」
リズは荷物をしょい直すと、ずんずんと森の中に入ってゆく。
後を追い、藪の中を分け入ってゆくと、せせらぎが大きくなり、やがて大小さまざまな岩が散乱する川辺に出た。
小川だ。流れに手を入れ、掬い上げてみる。冷たい、透明で綺麗だ。
「はい、タオル。使っていいからね。じゃ、あたし、あっちで水くんでくるから」
タオルを投げて寄こすとリズは、ぴょんぴょんと岩の上を跳ねて、上流のほうへ行ってしまった。
その姿を見送ってから、川水を梳くって、頬を浸してみた。
「痛てっ・・・」
顔を洗うにも、水が滲みる。
いちいち痛みに耐えて、少しずつ洗うなんて我慢できない。
面倒になって、頭ごと水につけて、洗ってしまった。
こびりついていた泥をなんとか落とすと、川面に顔を近づけてみる。
水鏡に映る自分。
少し長めの春の陽射のような金髪。
夏の空を写した眼。
ぼろぼろのマントを纏った少年からは水が滴り落ち、なんともみすぼらしく見えた。
「これが俺か・・・」
自分を俺と呼んでいたことに気づき、新たな発見に心が高鳴ったが、それもつかの間、見覚えの無い水鏡の自分の姿に、すぐ引き戻される。
何て名前なんだ、お前。
どこから来た。
どこへ行こうとしていたんだ。
水面の彼は何も言わず、ただこちらを見つめているだけだった。
「あ、綺麗になったね。へぇ・・・」
戻ってきたリズは開口一番、タオルを被った俺の顔をまじまじと見つめる。
あまりに近すぎて、身を引いてしまう。
「な、なんだよ」
「意外に綺麗な顔してるじゃない。そんな汚いかっこしてなければ、どこぞの貴族みたい。ふふっ、レースとか似合いそうじゃない?」
リズはウインクして、くすくすと笑う。
はぁ?何言っているんだ、こいつ。
やっぱり、俺で遊んでないか・・・。
ほんとに心配などしているんだろうか?
「なんてね。冗談はさておき。どう、少しは頭働いたかな?」
「だめだ、思い出せない」
リズは、首を振る俺の背中をばんとたたいた。
「元気だしなよ。ご飯食べて、お風呂入って、ぐっすり眠ったら思い出せるかもよ。さっきの話の続きになるけど、あんたも村に行かない?あたしもちょうど行くところ。みんな、いい人たちだし、とても綺麗なところよ・・・って、あら?」
上から下まで、俺のマントの中を覗き見たリズが、信じられないといった顔をする。
「丸腰?武器持ってないの?それにこれ、寝巻きじゃないの?!ま、はだしじゃないってことだけが救いね。ということは夜に出てきたって、こと?なんて、無鉄砲な・・・。こんなカッコで外に出るなんて、侠気の沙汰だわ。町から出たら、どんなことになるか。・・・それすらも忘れちゃったんじゃないでしょうね」
呆れたような顔をされたので、そんなことは無いと言い返す。
さっきマントの中を見て、自分でもびっくりしたくらいだから、確信はある。
「そうゆうお前はどうなんだ。こんな深い森で一人、危ないじゃないか」
「あら、心配してくれるの?それはありがとう。でも、そんなカッコの人に言われたくないわぁ」
リズは思いっきり、肩をすくませる。
まぁ、それもそうだけど・・・。
それにしても、この少女は何故一人で行動しているんだろう?
外は危ないといいながら、女一人でよく・・・。
それほどに危険に遭わないという自信があるのだろうか?
当の本人はそんな俺の考えなどお構いなしに、しゃべり続ける。
「それじゃあ、街道に戻りましょうか。ここは出るのよ、あれが。・・・って言ってるそばから、囲まれたわ!」
リズの瞳が、森に向けられる。
反射的に二人は背中を合わせた。
俺はこんなとき、どうしたらいいのかわかっているようだ。体が覚えている。
藪が揺れている。川を挟んだあちらの藪もがざがざと揺れている。
その揺れは、こちらにじわりじわりと向かってくる。
「あれは、ゴブリンよ。群れで行動して、襲ってくるの。たち悪いよね。そんでもって、大好物は人間の肉なのよ。サイテーでしょ。で、そっちに何匹いる?こっちは5」
こっちは4だと答えると、リズはショートソードを手渡した。
「防御ぐらいはできるでしょ。あたしが助けるまで、やられないでよっ!」
リズはマントを翻すと、身の丈ほどもある大弓に矢を二本番えて、藪から飛び出してきた2匹を一度にしとめた。
ぎゃっといういやな悲鳴とともに、ゴブリンたちは地面に落ちた。
どちらとも、頭を射抜かれていた。
ぴくりともしない、即死だ。
鼻をつくにおいの、ぼろきれと化した物体に目が奪われる。
「何をぼーっとしてるの!?次が来るよっ!」
仲間を殺された怒りで、他のゴブリンたちが吼える。
岩伝いに川を渡ってきた2匹がナイフを突きたてようと、俺に飛びかかってきた。
刹那、俺の右腕が意思を持った。
柄を握ると、剣を抜いた。
閃光が残像として、瞼に焼きつく。
「ぎゃっ!!」
剣は、なぎ払っていたんだ、二匹とも。
地面に堕ちた二匹はぴくぴくと痙攣を起こしながら、喉元から血を流していた。
リズはその様子を見て、ひゅ〜と口笛を鳴らした。
「・・・へぇ〜、やるじゃない!その調子でお願いね」
振り向きざまにリズの矢が、一匹を捕らえる。
目に映る、血を吸った剣。
こめかみが脈打ち、吐き気が襲ってくる。
このまま、目を閉じれば、全てを思い出しそうな気がした。
・・・しかし、まだ堕ちるわけにはいかない。
気合を入れなおして、剣を構え直すと、飛び出してきた一匹の頭を跳ね飛ばした。
次々と地面に堕ちてゆく仲間を見たゴブリンたちは、じりじりと後退し、しまいには森の中に逃げこんでいった。
「はい、戦闘終了〜。ご苦労様!」
剣を鞘に収めると、ふーっと息が出た。
まじまじと自分の手を見る。
剣を降ることを、体が覚えている。
剣を扱う動作、一つ一つが自然だ。
「ねぇ、あんた剣士だったんじゃない?」
リズが大弓を背負いながら言った。
その動きに合わせて、弓に結び付けられたお守りらしき宝珠が煌めく。
この細い体のどこに、大弓を引けるだけの力があるのだろう。
彼女のマントの中は、まさしく弓使いのカッコだった。
胸当てに、篭手、背中には大弓と矢筒、タガーが二本。
ミニのスカートにロングブーツ。
それらを飾る装飾が値の張ったものだと感じさせる。
それにあの腕前。
道理で一人でも、森を行けるわけだ。
身支度を整えたリズが、続ける。
「それは鍛錬していないと出てこないものよ。うん、きっとそうよ。良かった、ちょっと進展したじゃない!」
剣の扱いに慣れている。
これだけでも、進展はしたかもしれないが・・・。
吐き気は治まったが、こめかみはまだ疼いていた。
笑顔のリズに剣を返しながら、考えていた。
剣を振るった時に、何かあったのか?
さらなる不安が闇に溶けて、膨大してゆく。
まだ闇の幕は、上がりそうに無い。
('05.03.27)
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